8月27日に放送される「カンブリア宮殿」では、コスモスベリーズを設立した三浦一光さんが出演しました。
三浦一光さんは、今年会長職を退任し創業者相談役となっていますが、以前と変わらずパワフルに街の電気屋さんの救世主として日々行動しています。
そんな三浦一光さんは、どういった人なのでしょうか?
奥さんはどんな人?子供は何人?跡継ぎとなる息子さんはいるの?と気になることが、どんどんと湧いてきてしまいますね。
そこで今回の記事では、三浦一光さんには息子が居るのかどうかということで、気になる家族構成や経歴を中心に紹介していきます。
三浦一光の家族構成(妻や子供)について
早速、三浦一光さんの家族構成について紹介していきます。
結論から言うと、三浦一光さん・妻・長女・次女の4人家族の可能性が高いです。
それは、以前に「妻は専業主婦、次女は兼業主婦」と紹介していたからです。
次女とあえて言っているので、イコール長女が居るということになりますね。
息子さんが居れば後継者ということになるのですが、この話しだけを聞くと居ない可能性が高そうです。
しかし、このときのインタビューのテーマは、流通業界の変化についてでした。
冷蔵庫や洗濯機が昔に比べて多いものが主流になってきていることや、買い物のスタイルで日本の変化を感じているといった内容のものです。
つまり、主婦の生活スタイルの変化を見ているのでここでは男性の話しが出ないのも仕方ありません。
そう考えると、息子さんが居るという場合も有り得ますね。
三浦一光の経歴を紹介
次に、三浦一光さんの経歴について紹介します。
- 出身地:岐阜県
- 生年月日:1936年10月
学生の頃の夢は、教師になることでした。
しかし、両親が農業をやめて商売をはじめたことで、その商売を手伝うようになり高校と大学の進学は諦めたようです。
教師になっていたらどうなっていたのかも興味が湧きますが、進学せずに親の商売を手伝ったことで今の三浦一光さんが有るので、どちらにせよ良かったのかもしれないですね。
職歴については、以下の通りです。
- 1956年 パナソニック(当時 松下電器産業)に入社
- 1988年 西日本ナショナル電器㈱社長に就任
- 1991年 エレクトロニクス㈱初代社長に就任
- 1993年 松下電器産業㈱営業本部副本部長
- 1994年 ビデオ事業部長として事業再建
- 1996年 レコード会社のテイチク㈱社長として事業再建
- 1999年 豊栄家電㈱社長に就任
- 2005年 コスモス・ベリーズ㈱設立
- 2013年 「一般社団法人 日本ボランタリーチェーン協会」理事に就任
- 2015年 コスモスベリーズ社内ベンチャー部門「MSM流通研究所」設置し代表となる
- 2017年 「一般社団法人 日本ボランタリーチェーン協会」副会長に就任
- 2020年3月 コスモス・ベリーズ株式会社取締役退任し相談役へ
以上が三浦一光さんの職歴です。
社長や代表となっていて、華麗な経歴ですね。
また、1996年のレコード会社事業再建ではヒット曲を3曲生み出しミリオンセラーとなっています。
大泉逸郎さんの「孫」を覚えていますか?ヒットとなりましたよね。
この曲も実は、三浦一光さんが手がけているようです。
現在の電気屋さんだけでなく、レコード会社の再建まで行っていたのには驚きました。
三浦一光さんは、マルチな才能をお持ちの方です。
三浦一光は街の電気店の救世主
三浦一光さんは、大型家電量販店を利用して街の電気屋さんを潰れさせない流通を作っています。
それは、ヤマダ電機と提携をし仕入れはヤマダ電機から行っているのです。
この流れにより、冷蔵庫や洗濯機といった大型家電も大差のない価格で商品を売ることが出来ます。
そして、売る方法はパソコン教室を開いたりお茶が飲めるスペースを設けて井戸端会議をする時間を作ったりし、その会話や経験から購入へと結びつかせるようです。
押し売り感も全くないですし、価格も大型家電量販店と変わりがないので印象も良くなりますよね。
地域密着型にすることで、故障やトラブルといった何かあったときに安心して相談出来ました、対応も早そうです。
コスモスベリーズを設立し、このような流通業界を作ってきたわけです。
現在では、コスモスベリーズへ加盟している店舗数は11,495もの数となっているのです。
この数字からみても、いかにコスモスベリースや三浦一光さんの発想に助けられている人が多いことが分かります。
まとめ
今回の記事では、コスモスベリーズを設立した三浦一光さんについて紹介してきました。
家族構成は、妻と娘2人の可能性が高そうですが、もしかすると息子さんも居るかもしれません。
また、数々の社長や代表を経験して現在のコスモスベリーズ相談役へとなっています。
大型の家電量販店が出来てきた現代において、街の電気屋さんは死活問題では有りました。
しかし、三浦一光さんの新しい発想のお陰で、経営を続けていけている店舗は数多く有るようです。
街の電気屋さんの救世主となっている三浦一光さん、今後も引き続き救世主となっていかれるのでしょう。